“永遠”の精緻なレプリカ

第四回「扉」

無造作に貼られた大量の切手に「FRAGILE」のシールが巻き付けられた包みがポストに突き刺さっている。誰かへと届けるために複製は行われる。より広く、オープンであるために。

15世紀にグーテンベルグによって実用化された活版印刷技術は、それまで手書きで複製された写本とは比べものにならないほど大量の印刷物を生み出した。地理的な制約を大きく取り払い、複数の書物の比較検討を可能にしたことが、宗教改革に一役買ったとも言われている。

印刷技術は民主化の道を辿った。エジソンの発明による謄写版からゼロックスコピー機にいたるまで、誰もがアクセスできる機材を目指して進化を続けた。

SF愛好家やパンクムーブメントのなかで無数に生み出された薄い紙束はzineと呼ばれた。コピー機と簡易な素材を用いた粗野なつくりはDIY精神を体現するものであり、読まれるものである以上に作られるものであった。とりわけパンクの破壊的な美学とビジュアルスタイルはこの種の出版物と密接な関係にあった。反体制・アナーキズム的性質を持ったパンクは、過激なパフォーマンスに溢れており、「Do it yourself」という言葉とは裏腹に、観客の女性への暴力や性被害が多発し、女性たちがライブ会場から離れざるをえない抑圧的な状況が生み出されていた。

「Revolution Girl Style Now!」
女性だけで結成されたパンクバンド、ビキニ・キルはライブでそう叫んだ。男性バンドのライブでよく見かける光景──モッシュ等激しく暴れ回る男たちが舞台の前方を占め、女たちは後方に追いやられる──を逆転させ、前方に女性たちが集まるよう呼びかけ、ときには客をステージに上げ一緒に歌い叫んだ。メディアで紹介されるようなパンクスのガールフレンドとしてではなく、自分自身がパンクスであることを宣言した。彼女たちは「Riot Grrrl」と名乗った。Grrrlという綴りは差別と抑圧を強いる世界に対する唸り声である。

「なぜなら 私たちは継承された手本ではないものを想像することに関心がある。そして競争や良い/悪いのカテゴリー化ではなく、音楽・友達・コミュニケーション・理解に基づいたシーンを作ることに興味がある。」
マニフェストのなかでそう語るように、彼女たちは自らのコミュニティを立ち上げるためにzineをつくって配布した。
ビキニ・キルのメンバーであるキャスリーン・ハンナは、メディアの取材において、Riot Grrrlの組織はアメリカ中にたくさん存在しているとホラを吹いた。その後彼女の元には参加を熱望する女性からの手紙がたくさん届き、やがて女性たちは自らコミュニティを立ち上げ、ハンナの言葉は現実となった。

検閲体制が敷かれた旧ソ連時代に、国の許可なく印刷物を作成し配布することは当然禁じられていた。非公式に出版された印刷物は「サミズダート」と呼ばれ、複製・所持が発覚すれば投獄された。芸術においては「社会主義リアリズム」のみが国家公認のものとされていたが、ソ連批判や西側諸国に呼応した作品はアンダーグラウンドでは活発であった。こうした動向を海外に輸出し、また海外の事情を国内に輸入するため、サミズダートは数多く作成された。Igor Suitsidov、Boris Inozemtsevといった寄稿者たちが執筆していたが、いずれも批評家であるボリス・グロイスの変名である。
普遍性を前面化させる共産主義という運動は秘匿を許さない。すべては透明化され、平等でなければならない。

共産圏における芸術のあり方に自覚的だったボリス・グロイスはウィキリークスに注目する。インターネットはすべての情報に誰もがアクセスできることを目指す普遍主義のハードコアである。思想や哲学においてではなく、技術的・非倫理的にただオープンであること。いわばそれは民主主義の徹底でもある。ウィキリークスが国家による検閲や秘匿を暴くことを第一としていることには理由がある。情報の自由な流れを阻止しているのは資本主義的なビッグテックによる利害事情だと理解されているが、むしろ彼らは国家を後援とするゆえにそうした変節を余儀なくされているのであり、資本主義という究極の自由を行使するためには国家の抑圧に抵抗する必要があるのだと。

徹底してオープンであるためにはどうすべきなのか。情報の自由な流通を阻害するアクセスを防ぐことである。つまり完全なオープンが維持されるためには、部分的な形であれアクセスを制限することである。こうして普遍性は閉鎖性と表裏一体となり、秘教的・陰謀論的様相を帯びていく。開くためには閉じる必要がある。普遍的な情報のアクセスへの希求がサミズダートとして地下で流通したように。

Riot Grrrlたちのzineが白人男性のものと大きく異なったのは、日頃口に出せない自らのトラウマや性被害を語り直し、共有する場となったことだ。アカデミックな場におけるフェミニズムではなく、身近なコミュニティのなかで迷いや取り乱しを抱えたまま語られる言葉は、互いを治癒する関係性を生み出した。閉じられたプライベートな領域を垣間見ることでつながる信頼は、それゆえにパンクファンにとどまらない広がりを生み出した。

母親となった「Grrrl」たちがフェミニズムのコミュニティから降りたかのように見られ、また地域社会からも取りこぼされる疎外感を感じるとき、子供を寝かしつけた静かな夜にzineはつくられた。多忙な生活の合間を縫って書かれる文章は散漫ではあるが、作者のひとり、チャイナ・マーティンズはこう述べる。「編集している時間はない。余裕のない女性の書き方で、生活の一部を公開して分かちあう。立派な記事を出す贅沢はここにはないけれど、とにかくわたしにはこれを印刷するガッツがある。わたしは現実のコミュニケーションに大賛成。あなたが企業主体のコミュニケーションや新聞から、最後に何か実のあることを得たのはいつ?」

時代とともにzineはやがてブログに取って代わるが、大方ブログにおけるコミュニティは長くは続かず、再び印刷物の郵送へと落ち着くようになる。
「ジンはさわることができる物体だ。書いた文章は物理的に古びるもののうちに含まれている。インクは消える、紙は黄ばむ。たった10年前のジンでも、手に取れば歴史的な文書を手にしているような感じ。そこにのっている文章、それを書いた人物を流れる時間の特定の瞬間に位置づけて理解しやすい。コンピューターのスクリーンに現れる言葉は、日付が記されていたとしてもその反対に感じられる。脱文脈化され、非歴史的で、非時間的だ。」
作者のひとり、ローレン・ジェイド・マーティンはそう語る。zineとは「文字のかたちに浮き出た模様を紙の裏に感じること」だとマリッサ・ファルコは述べる。本に記載された文字だけではなく、本という肉体もまた読まれている。

広く届けることと秘密を共有するという矛盾の両立は、それを手渡す人々の信頼によって成り立つ。オープン/クローズの境界は紙メディアというシステムの不完全さによって常に危機にさらされる。むしろそれゆえに、オープン/クローズの操作は、微細な関係性において絶えず調整され維持される。開かれるための閉域を確保する。本という物質にはすでに、物理的な特性としてそれが顕現している。

13歳の誕生日に赤と白のチェック模様のサイン帳をプレゼントされた少女は、その本に「キティー」と名付け日記を書くことにした。
「あなたになら、これまで誰にも打ち明けられなかったことを何もかもお話しできそうです。どうか私のために大きな心の支えと慰めになってくださいね」
強制収容所にて15歳で命を落とすアンネ・フランクの日記の始まりである。
ユダヤ人狩りが始まったオランダで、アンネの父であるオットー・フランクは彼が事業を営む建物に秘密の部屋をつくった。彼ら家族を含む8人のユダヤ人がその部屋に身を隠していた。アンネはこの部屋で過ごした2年間、多くの本を読み、文章を書いた。8人のなかで唯一生き延びることができた父オットー・フランクは、戦後この日記を出版した。

この建物は現在、博物館「Anne Frank House」として公開されている。同館が発行するカタログ「Anne Frank House」は貴重な資料となっているが、Irma Boomによってデザインされたこの本の小口は、開くことを拒絶するかのようにすべて折り返されている。開いた本の奥にまで手を伸ばし再度紙をめくらなければ、すべての内容を知ることはできない。開き、閉じるという本のかたちを何度も確かめる。ページを繰るため指を伸ばすとき、透明なアクセスを求める中立性は崩れ、秘密を共有するひとりに染まる。

アンネが潜む秘密の部屋への入り口は、本棚で閉ざされていた。

参考文献

アリスン・ピープマイヤー (著)、野中モモ (翻訳)『ガール・ジン 「フェミニズムする」少女たちの参加型メディア』太田出版、2011年

大垣有香『Riot Grrrlというムーブメント──「自分らしさ」のポリティックス』遊動社、2005年

ボリス・グロイス(著)、河村 彩(翻訳)『流れの中で: インターネット時代のアート』人文書院、2021年

『Anne Frank House』Anne Frank House、2018年


加納大輔 | かのうだいすけ

グラフィックデザイナー。1992年生まれ。雑誌「NEUTRAL COLORS」「エクリヲ」のアートディレクションのほか、作品集や写真集等のブックデザインを中心に活動。www.daisukekano.com