“永遠”の精緻なレプリカ

第三回「not me (…) it‘s not me」

ヘッドフォンから微かな音が鳴り続けている。それを頭につけるわけでもなく、机に置かれたまま授業はすでに始まっている。電源を切るよう講師に注意された学生は、自分でさえも聞こえないのにと返事をした。またあるとき、彼はヘッドフォンを頭につけ同様に注意を受ける。今度は音楽が流れているわけではない、ただつけているだけなのだから問題ないだろう、と答えた。

ヘッドフォンをつけるのは音楽を聴くためだろうか。単に周囲の音を遮断したいからなのか。それともそんな目的などなく、ただ手の届く範囲にある安心を求めているだけなのだろうか。

1989年、科学者のティム・バーナーズ゠リーは、冷戦時代に軍事技術として開発されたインターネットを使用してワールド・ワイド・ウェブ(WWW)を作った。画期的な発明に商業的なオファーが舞い込んだが、彼は申し出を断り特許も申請しなかった。ウェブを皆が共有できるコモンズと考えていた彼は、代わりに科学機関を説得し、コードを自由に利用できるようはたらきかけた。

しかし1992年の法律の制定によって、インターネットが商業目的に解放されると、コモンズであったはずのウェブは、私企業が所有権をめぐるデジタル空間の帝国主義へと変貌した。ECサービスが誕生すると競争はさらに激化し、数多くのIT企業が設立され株価は急上昇した。だがそれも長くは続かなかった。実態不明なプレゼンテーションと実現可能性の低いビジネスプランは投資家たちを不審がらせ、2000年の終わりごろにドットコム・バブルは弾けた。

同じく2000年、弾け飛んだオンラインのドットが紙に着地したかのような誌名の雑誌『ドット・ドット・ドット (DDD)』が創刊された。スチュアート・ベイリー、ピーター・ビラークを中心とする4名のグラフィックデザイナーによって制作された雑誌は、彼らの専門とするデザインを議題の中心としつつも、それにとどまらない学際的な広がりを有していた。インターネットが盛り上がりを見せていた時期になぜ紙の出版物を創刊したのか問われた彼らはこう答えた。

「雑誌という物理的なモノとその実在が世界との間に引き起こす影響関係にもとても関心があった。僕たちはただ図版を見るだけではなくて、実際に物体を見たり触ったり聴いたり眺めたりすることの重要性について繰り返し話してきたし、そういう記事も作ってきた。つまり物質性を持った出版物を出すことは、この原則的な考え方の実際のデモンストレーションでもあるんだ。」

多くの寄稿者を巻き込み、拠点やメンバーも変化し、資金不足に苦しみながらも『DDD』は2010年までに20号分を出版した。

「ウェブで展開すれば確かにお金もかからない。しかし、資金集めに頭を悩ます努力は決して無駄ではないんだ。つまり、ある経済的制約の中で何かを作ることは、むしろ生産的でもある。毎回なんらかの形に仕上げなければいけないパズルのようにね。」

「毎週、誰かにテキストを紹介してもらいたいです。わたしはやらないので。好きなやり方で紹介してもらって構いません。しっかりした形式のプレゼンテーションでなくてもいいので、テキストについて話すところから始めてください。」

ヘッドフォンをつける学生に辟易していた講師、批評家のマーク・フィッシャーはロンドン大学ゴールドスミス・カレッジで新たな講義を受け持っていた。「ポスト資本主義の欲望」と銘打たれたその講義では、講師から学生への一方的な伝達関係ではなく、学生たち同士が議論をする場を生み出そうとしていた。そこでのフィッシャーの役割はファシリテーターとして議論を調整することで、あくまでも講義の主体は学生たちであることを強調した。

「ハンドアウトとかパワーポイントとか、使いたいものがあれば何でも使ってください。いくつか論点をあげるだけでもいいです。好きなようにしてもらって構いません。わたしではなく、あなたたちがするのですから。」

「あなたたち自身の未来のワークショップには、たくさんの役割があるのです。そして、あなたがそこを情熱と、知性と、最大限のユーモアで満たすことを、わたしは願っています。あなたへと受け継がれたものが、きっとうまくいきますように!」(Norman Potter『Model & Constructs』P.35)

『DDD』の編集者であるベイリーがニューヨークに移住すると、常連の寄稿者であったデザイナー、デイヴィッド・ラインフルトが次第にビラークに代わって共同編集者となる。2006年、ベイリーとラインフルトは大量生産の組み立てラインモデルに代わる「ジャストインタイムワークショップ兼臨時書店」を設立し、二人はデクスターシニスターという名義で活動を始める。「オンデマンドの生産によって無駄を回避し、ローカルで安価な機材を有効に活用し、オルタナティブな流通の戦略のもと、編集、デザイン、制作、流通といった各工程の区分をひとつの効率的な活動に集約すること」を目指し、先行する活動を書物から引用することで継承する姿勢を見せている。先の言葉はデクスターシニスターの設立趣意書において引用された、デザイナー、ノーマン・ポッターの言葉だ。『DDD』の制作と並行してオンデマンド出版の可能性に取り組む彼らは、歴史に敬意を払いつつ、時代と技術に批判精神を持って新たな提案を続けていた。

「スティーブ・ジョブズは、コンピュータを心のための自転車と約束したが、代わりに手に入れたのは精神のための組み立てラインである。」と評論家のエフゲニー・モロゾフは言った。

「資本主義の理想は、わたしたちの時間のなかに十分すぎるほど多くのものを与えることです。果てしなく気晴らしできるような、そうした場所のような何かをつくり出せるかどうか、想像してみてください。世界のどこにいても、どんなときでも、資本主義からの要請を受け取ることができるような、そんな場所です。それを可能にするものがありますよね!なんでしょう?」フィッシャーは講義のなかで学生に語りかける。テクノロジーは人為的に時間の欠乏状態を生み出し、コミュニケーションにおいてより深刻である。ローディングのアイコンをスワイプしてスクロールする。いつからかスクロールバーは消えた。時系列だったタイムラインはランダムポストになり、動画広告は自動再生される。オンラインへの滞在を長く引き止めるために、UXデザインはギャンブル産業のそれと似通っていく。注意は散漫になり意識は細分化され、連続した関係を捉えることができず現在のみを経験する。アップデートと同期が現在という時間に私たちを縛り付ける。過去は失われ、歴史は捨てられた。

「2023 JAN 22 07:06:46 AM」。2011年、ベイリーとラインフルトは『DDD』『デクスターシニスター』に続く新プロジェクト、『The Serving Library』を開始した。先の時刻は彼らのウェブサイトの右端に常に表示されている現在時刻である。The Serving Libraryはオンラインによる流通に着目し、印刷による出版とPDFによる配信を同時に行うことを目指す。

「細心の注意を払った記録は、眼鏡をかけた司書ではなく、ソフトウェア・プログラム (Webalizer V2.3.) によって管理されることになるのです。このウェブサイト統計プログラムは、誰が、いつ、何を、どれくらいの時間見たのか、という活動のログを作成します。」

ウェブサイトに表示される時間は私たちの活動のすべてが記録され監視されていることを示唆しているかのようだ。紙の出版を模索していた彼らがデジタルとのハイブリッドを目指すのは、デザインが特定のメディアにのみ根ざす職人的な仕事ではなく、「考える」ことだからだとベイリーは説明する。

「「デザインする」ことを「考える」ことだとするならば、それは意識的であること、疑問を持つこと、あるいは良い意味で「批判的」であること、検討すること、配慮することを意味する。」

私たちは三つの時代を生きている。ロゴスフィア(言葉)、グラフスフィア(報道・印刷)、ビデオスフィア(スクリーン)。つまるところこういうことだ。「神が私に言った」「読んだ」「テレビで見た」。

メディアが並列化した現代を同時に生きている私たちには、それぞれの特性を理解しメディアを読むこと=リテラシーを身につけることが求められている。『DDD』について、彼らはこうも話していた。

「この作品の形式は、さまざまな文脈やメディアを通じてパリンプセストとして発展してきた長い歴史に由来しており、スクリーン上でも、PDFから通常のプリンタフォーマットに印刷しても、同じように伝わることはありえない。」

「『DDD』にも時間が経つにつれてあらわになる要素が内在している。だから、ハードディスクのデータ宇宙の深淵に埋もれてしまうよりは、モノとして本棚で埃をかぶっているほうがいいよね。」

大切なのは特定のメディアや方法を捨て去ることではなく乗りこなすこと、もっと言えば自分たちの手でメディアを主体的に取り戻すことだ。

「わたしたちは、資本主義からの抑圧を起点にして、それを研究対象にすることもできますが、それだけではなく、資本主義による喜びも起点にして、対象とすることができるのです。」

フィッシャーは、反資本主義の抗議者たちがiPhoneを手に持ちスターバックスを利用していることを揶揄する声を斥け、学生たちに語る。

「iPhoneをもっているからといって、ポスト資本主義を望んではならない、というわけではないのです。」

フィッシャーの講義は教室に集い、本を読み合い意見を交わす場を必要としていた。彼のブログはしばしば物議を醸していたし、学生たちは毎日のように世界の炎上騒ぎを手元のスクリーンで目にしていたが、辛抱強く考え互いの意見を尊重する話し合いの場をもつことは、お互いにとって修復的な時間だったのではないだろうか。

「どなたか、クリスマス休暇の後に、アウトノミアと労働の拒否について紹介してもらえませんか?」

労働からの解放といったトピックが取り上げられる講義にもかかわらず、彼は学生たちととともに働く[=学ぶ]ことを愛していた。

「大丈夫ですかね?いつでもメールで問い合わせてください。」

そう告げると、フィッシャーは教室を去った。

「BoTSL#1 2011 MAR 16 1:16 PM」。

古書店で手に入れた『Bulletins of the Serving Library #1』の下部に記載された時間だ。タイムスタンプはこの文書が最後に修正され、保存され、PDFとしてエクスポートされた瞬間を記録している、と書かれている。今でもオンラインで購入可能なこの本は、古書店で埃をかぶっていただけでなく、表紙には大胆な折れ筋が刻まれている。実体として存在する本とオンラインでダウンロードを待つPDF。この双子の運命はのちの時代に誰かが注釈を書き加えることになるのだろうか。

年が明けた2017年1月の講義にフィッシャーの姿はなかった。重度の鬱病に苦しめられていた彼は自ら世を去ることを選んだ。月曜日、フィッシャーの死を知りながら、いつもの講義の時間には普段の何倍もの学生たちが集まっていた。「悲惨な月曜の朝はもうたくさんだ」。生前にフィッシャーがブログ上で公開したプレイリストのタイトルだ。

「私ではなく、あなたがはじめるのです。」講義中、何度も彼は口にした。

月曜の朝に集まった学生たちは、インターネットを経由して届く、圧縮されたプレイリストの音声ファイルを静まり返った教室で再生した。同じ空間を共有しながら、彼らは思い思いに耳を傾ける。今度はヘッドフォンなしで。

参考文献

Stuart Bailey, Angie Keefer, David Reinfurt (Eds.)『Bulletins of The Serving Library #1』Sternberg、2011年

Norman Potter『Models & Constructs』Hyphen Press、1990年

Ruben Pater『CAPS LOCK』Valiz、2021年

「「Dot Dot Dot」との対話」『アイデア 318』 誠文堂新光社、2006年

古賀稔章「書物の周縁、周縁の書物」『疾駆 第10号』YKG Publishing、2017年

Dexter Sinister『Portable Document Format』Lukas & Sternberg、2009年

マーク・フィッシャー『資本主義リアリズム』堀之内出版、2018年

マーク・フィッシャー『ポスト資本主義の欲望』左右社、2022年

Dexter Sinister “23 June 2006 / About” http://www.dextersinister.org/index.html?id=35(参照 2023-1-26)

Dexter Sinister “A BRIEF INTERVIEW ABOUT THE PROJECT WITH EMILY KING:” http://www.dextersinister.org/index.html?id=123(参照 2023-1-26)

Dexter Sinister “Dear Subscriber,” https://www.servinglibrary.org/introduction/about/dear-subscriber(参照 2023-1-26)


加納大輔 | かのうだいすけ

グラフィックデザイナー。1992年生まれ。雑誌「NEUTRAL COLORS」「エクリヲ」のアートディレクションのほか、作品集や写真集等のブックデザインを中心に活動。www.daisukekano.com