水が通る道
日本に帰ってきてもうすぐ3ヶ月が経とうとしている。こうして1日、1週間、1ヶ月と数えるのは不思議な気がして、数える時の始まりになるその点はもともとあったように思えて、実は自分で選んでいることに、他の数えられてこなかった出来事の行方がわからないまま、その状態はどこへ行くのかと思う。5月までにこの戦争は終わる、始まってから半年が経ったなどと、昨年はニュースでよく耳にしていた。去年の3月、爆撃の様子を言語が伝わらない私に一生懸命伝えてくれたあの人はどこにいるのだろうか。
帰国してから祖母の疎開先の村があったというところへ行った。木々の間に挟まれながらぽつぽつと咲く山桜が綺麗な時期であり、祖母が女学校から歩いて家まで帰っていたらしい道を車で通りながら、本当にここなのだろうかと考えていた。祖母は戦後もその地にしばらく住み、汽車の駅近くにある女学校に寝泊まりしながら、週末には長い道のりを歩いて家まで帰っていたそうだ。そこへトラックが通りかかる日は幸運で、家の近くまで乗せていってもらったらしい。
国境近くは軍事用のトラックや、貨物などを運ぶらしい大きなトラックが行き交う。そんな光景を色々な土地で目にすることを思い出す。10年ほど前にスロヴァキアとポーランドの国境近くを車で通った際、森と山しかない土地をトラックが何台も進むのを見ながら、どこからきてどこへいくのか、何を運んでいるのかと、不思議な気持ちになった。その道の両側の風景の中、作物を収穫し終わった痕跡が残る畑が広がり、遠くたまに見える建物には煙突のあるような家屋も見えて、その上にはコウノトリの巣があった。
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チェコでは郊外や地方に行くと、庭を囲んだ柵の上に壊れかけたマグカップを被せている家を見ることがある。(私が把握している限りで、同じ光景をスロヴァキアやオーストリアでも見ることができる。)これは、どうやら柵に使われている素材(ほとんどの場合は木材)を雨水の侵食から守る意味があるらしいが、本来はその村を通りがかる旅人のために用意されていたとも言われていることを友人から聞いた。昔は聖地や教会を巡礼する人(旅人)が、その「村」の世界の外側から、世界で何が起こっているかを教え伝えてくれる存在だった。喉の乾いた旅人は庭先にかかっているそのカップを手に取る。そうするとその家の家主がカップに飲み物を注いでくれる。そうしてお互いにカップを介しながら、外側の世界とその村の中での出来事を話しながら共有し、ゆるやかに世界のつながりを保っていた。
チェコにいる水に住む精はヴォドニーク(Vodník)といって、日本の河童と似たような存在である。燕尾服を着た緑色のその存在は、子供向けの童話の中では柳の木の幹に座りながらパイプをふかす。魂を水の下へ引っ張っていってしまう困った存在でもあり、蓋のついた陶器のポットへ死者の魂を入れ水底へ持って帰り話し相手にする。ヴォドニークは旅人にカップを差し出すわけではないが、自分で自分の元へと話し相手を連れてくる。
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祖母の学んでいた女学校があったはずの場所に初めて行ったとある日、そこにあった古そうな木造の建物を眺めている私に、通りがかった人が話かけてくれたことがあった。その人は随分前にそこに中学校があった時の卒業生だと言って、その木造の建物は中学校の講堂として使われていたことを教えてくれた。そこから川沿いに山の方の深い方へ行くとダムがある。そこが私の祖母の住んでいた場所であり、周辺には昔からある村がまだ残っていて、郵便局があるそうだ。中学校の講堂だった建物はツタでおおわれ、最後に人が触れたのがいつなのかわからないほど古い。 窓の一部はガラスが割れ中を覗くことができ、臼や農具、機織り機や編まれたカゴが見えた。その講堂の右側には山の方へ続く急な短い坂道があって、その上にはお寺がある。いくつかお墓も見えて、境内の水道にはふたつの白い湯呑みと赤い盃のようなものが置いてあった。お墓の前にも湯呑みやカップを置いて、喉が渇かないようにする。
河童が馬を川や沼の水底へひきずりこんでしまう伝説に似た話は、水の神や家畜に関連して、ユーラシア大陸を横断するように各所に見ることができる。(*1) ダムや、川沿いの道や、祖母の話していたことを考えると、いつも頭の中に網が浮かぶ。目が粗く、赤くて黄色い太い紐で編まれた網が水底にあるものをすくい上げる。だがすくい上げないものもあって、それはふとした時にその網に引っかかることがある。チェコのヴォドニークは着ている燕尾服の尾ひれで鯉をすくうという。いつも鯉や他の水の生き物を支配していて、鯉がいない沼には生きていくことはできないと友人から聞いたことがある。陸上を移動することもあるが燕尾服の先が濡れている必要があり、服からは水滴が落ちる。陸上にあがったヴォドニークが歩く後に束の間の水滴の線ができる。(*2)
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雪の降る葉のない木々の間の道を、大きなトラックが列をなして進んでいる光景を、テレビのニュースで見たあの時のことを、いつまで思い出せるだろうか。国境をやすやすと超えてくるあの黒い塊の列が、雪の合間にちらほらと土の黒が見える白い光景の中で、不思議なほど整列した車の線を。日本に戻ってきた私は、あの場所とはまるで遠くにいて内側へ戻り、内部となった。外と内の間にある境界線を強固にしようと、外へ外へと何かを押し出そうとする土地に戻ってきたことが、私の頭を停止させる。あれは、自分のことではないのだと言って、暴力に反対するふりをする。
(*1) 『……次に中欧のチェッコにいたれば、この国でもまた水霊はしばしば馬、とくに白馬の形をとってその姿をあらわす。ただこのさい彼らには下顎がない。同様に彼らはまた尾のない鯉の形であらわれることもある。…ボヘミアのノーヴィ・ブィジョフ Nový Bydžov に近いザフラスタニ Zachrastany の一農夫は、池の畔りに美しい数頭の白馬が草を食んでいるのを見た。彼はその一頭に危うくまたがろうとしたが、よく見ると下顎がない。すると白馬は笑っていった。「お前は幸運なやつだ、もし俺の背にのっていたら溺れ死にさせてやったのに」と。……』石田英一郎『新版 河童駒引考 – 比較民俗学的研究』岩波書店, 1994
(*2) カレル・チャペックの書く物語の中で、服が濡れた河童が人間と交流する様子が描かれている。『……わたしの父は歯医者をしていましたが、ある晩ひょっこりと、このカッパが、むし歯をぬいてもらいにきました。そしてお金を払うかわりに、銀いろのきれいなマスを一ぴきかごにいれて、ながもちするように、水草をかぶせて持ってきました。ところが、そいつが腰かけたいすに、水でぬれたあとが残っていたものですから、さてはカッパだ、とすぐわかったのです。……』カレル・チャペック「カッパの話」『長い長いお医者さんの話』岩波少年文庫, 2015
日原聖子 | ひはら せいこ