第六回「谷間の乾いた骨(巡りながら差し込む光を見た)」
木々を抜けた先にいくつもの十字架が並び立つ。空と海を白い格子が分割して背景に追いやる。車窓から眺めたその風景は一瞬のことで、あとにはどこまでも海が続く。
僕の両親は奄美大島で生まれた。戦後アメリカ統治下にあったこの島は、1953年12月25日のキリスト降誕の日に、「クリスマスプレゼント」として日本に返還された。父が生まれたのはその5日後のことだ。
大島のすぐ南の加計呂麻島に、小説家・島尾敏雄が足を踏み入れたのはそれより9年前のことだった。重要な軍事拠点である加計呂麻の呑之浦基地に、特攻隊を率いる指揮官として彼は赴任した。目的はひとつ、爆薬を搭載した特攻兵器に乗り込み、敵艦に激突すること。訓練は毎日のように行われた。艦艇とともに自身の体が弾け飛ぶ、破壊の瞬間をなぞるように。
1945年8月13日深夜、出撃の命令が下された。しかし早朝になっても敵艦は見当たらず、翌15日、ラジオから流れる玉音放送によって、彼は日本が戦争に敗れたことを知る。死は目前で一時停止され、先送りにされた。
マーシャル・マクルーハンは反射光と透過光を区別する。光を反射して知覚する紙メディアに比べ、テレビやコンピュータの透過光は光が対象を直射する。映画が映写機の光をスクリーンに写す反射光だとすれば、透過光は光を受け止める観客自身をスクリーンにする。それはまた、ステンドグラスに似た礼拝効果を帯びるという。
奄美に宗教はなかった。少なくとも島を訪れた神父はそう思った。カトリックに遅れて到着したプロテスタントの神父が目撃したのは、たった数日の差で敬虔なカトリック信者となった、多くの島人たちの姿であった。それまで宗教が存在しなかったわけではない。しかしカトリックの熱心な信仰に比べればなかったに等しい。黒糖栽培の拠点として薩摩藩に搾取され、強制労働を強いられてきた奄美の人々に、宗教をはじめ武人と同じ文化や習俗を共有することなど許されなかったからだ。照りつける太陽の光は、豊作をもたらす恵みであるとともに体力を奪う熱源でもある。明治を迎え薩摩支配が解かれたのちに差し込んだ新たな光は、島の人々の救いとなりえたのだろうか。
延長された生の時間を島尾は奄美で過ごした。出征で訪れたころ、彼は古事記を携えていた。本を開くたび、この島がかつて描かれた世界と地続きであることを驚きを持って眺めた。しかし歴史的遺跡をほとんどもたない平坦なこの島にも、光が差せば影が生まれる。モダニティとローカリティは十字架となって交差する。「ペトロ」という、もう一つの名を持つ島尾は、多くの島人たちと同じくカトリックの洗礼を受けている。そして同時に、古代から形成されてきた島の起伏が照り返す太陽の光を受け止めてもいる。
光を知覚するには距離を要する。一筋の強い光は遍在する反射光と空気中で交わる。遠大な時間さえ跳ね返るまでの軌道に変わり、あらゆる場所で乱反射する。
「もっと光を!」死の間際、ゲーテはそう言い放ったという。タイポグラファーのロビン・キンロスにとってこの言葉は、理想を高く掲げるとともに、些細な手続きをひとつひとつ配慮して実行する、現実的なアプローチとして理解されている。ゲーテはただ、差し込む光の量を調整するため、鎧戸をもう一枚開けてほしいと頼んだだけなのだ。
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レコードで聴き直そうと購入した中古LPは今度はイギリスから届いた。ジャケットは変わらず水飛沫をあげている。サイズの拡大でシャープさが多少損なわれたこと以外に、大して違いはない。聴き慣れた音は録音の正確さを示すとともに、再び新たな発見をもたらす。
「Our Exquisite Replica of “Eternity”」で幕を開けたgastr del solのアルバム『Upgrade & Afterlife』は、「Dry Bones in the Valley (I Saw the Light Come Shining ‘Round and ‘Round)」で幕を下ろす。アメリカンフォルクローレを再解釈したジョン・フェイヒイの楽曲を、デイヴィッド・グラブスとジム・オルークが奏でる。メロディアスなギターの音色は、これまで繊細な変化を聴き分けてきた耳に鮮やかに響く。やがてギターは単調なリフに収斂し、トニー・コンラッドの奏でるバイオリンが揺らぎながら重なっていく。映像作家でもある彼の映画はたしか、光がずっと明滅していた。
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洗骨の時期が訪れると、一度地中に埋められた過去はもう一度再生される。かつて奄美にあった風習は、死者を地上に再配置する。墓の下の暗闇から引き上げられた骨に光が差しこむ。太陽の光を直接浴びることは禁忌だという。打ち上げられた珊瑚のように乾いた骨は、巡る光を白く照り返す。
参考文献
島尾敏雄『名瀬だより』農山漁村文化協会、1977年
島尾ミホ『海辺の生と死』中公文庫、2013年
ポール・レヴィンソン『デジタル・マクルーハン―情報の千年紀へ』NTT出版、2000年
Edited by Stuart Bailey『In Alphabetical Order』NAi Publisher、2002年
加納大輔 | かのうだいすけ
グラフィックデザイナー。1992年生まれ。雑誌「NEUTRAL COLORS」「エクリヲ」のアートディレクションのほか、作品集や写真集等のブックデザインを中心に活動。www.daisukekano.com