汲んだ水の行き先

第四回

 ギリシャ・ローマの神話には死後の世界にレテと名付けられた川がある。死者の魂が現世に転生する際、その川の水を飲むと前世の記憶を完璧に失い、新たな人生を歩むことができると伝えられている。今を生きる僕らにも忘れてしまいたいことがあるはずだ。レテの水を飲めず、忘れることも出来ず、やり場のない手立てとして記憶に蓋をするように生きることはどんなに息苦しいことだろう。人の生涯に受ける傷や痛み、それらと共に生きるなかで何が癒しになり得るのか。或いは癒えることのない場合、どのように向き合うことができるのだろうか。



 2021年、僕は初めて初夏の諏訪湖を訪れたのだった。冬の青白く美しい景色とは一変し、遠目から見ると明るい翡翠色の水面が広がっているようだった。その鮮やかさに一瞬目を奪われたが、水際に降り立つと湖面は繁殖した藍藻によって底が見えないほど覆われていた。藍藻が異常に増える原因の一つは、近隣の農地から染み渡る農薬や工場などの排水に含まれる窒素とリンによるものだと言われている。藻が湖面を覆うことで、他の水中に生息する植物たちが光合成できなくなり死滅してしまう。活動を終えた藻や植物たちを分解するために水中の酸素が使われ、酸素を必要とする他の生物にまで影響を与え負の連鎖が起きる。


 水質汚染だけではなく、外来魚の対策として釣った魚は処理されることなく陸に放置される。死んだ魚が辺りにいくつも転がっている景色を何度も見ることとなった。野鳥に啄ばまれ、骨と身が剥き出しとなり腐臭を発する。湖のこもった臭いと混じり、僕の喉の奥をじくじくさせた。汚染によって呼気が塞がれた湖を吐き気に耐えながら眺めていた。



 水質汚染の原因の一つに挙げられるリンは、農薬中毒を招く有機リンでもある。その症状は軽度でも頭痛、倦怠感、めまい、冷や汗を引き起こす。重度の症状となれば、瞳が小さくなる(縮瞳)、歩行困難などが見られるという。1997年に発行された村上春樹の『アンダーグラウンド』(*1)で、インタビューを受けた緊急救命センターの医師がサリンと農薬に含まれる有機リンと結びつけて語っている。『「血液中のコリンエステラーゼが低下する」ことと、「縮瞳現象が見られる」ということがわかりまして、そこではじめて「有機リン剤によるものではないか」と医師たちが考えるようになったわけです。』



 1995年の地下鉄サリン事件は、3月20日の朝にオウム真理教の信者たちによって無差別の犯行が行われた。千代田線で一編成、丸の内線、日比谷線で各二編成、計五編成の車両で神経ガスのサリンを散布されたことで乗客と職員の14名が亡くなり、負傷者は約6300名とされる。当時、父は赤坂見附にある会社に通勤するため丸の内線を利用していたそうだ。事件当日も出勤のためいつもの時間、いつもと同じ車両に乗っていた。散布された車両の隣車両に乗っていたようで、異変に気づいた周囲の人々と共に速やかに現場から離れたと聞く。彼は凄惨な状況を見ていたのか、あまり詳しく語らなかった。口にしてしまうと記憶の細部を思い出してしまい、耐えられないものがあったのかもしれない。僕は更に詳しく話を聞くことは一度もできなかった。彼は阪神淡路大震災を被災し、2ヶ月も経たずに思いもよらない方向から暴力を受けることになったのだから。



 事件から数年後、父は電車に乗ることが出来なくなってしまった。原因は、日々のストレスの蓄積と地下鉄で体験したことによる影響があるようだった。毎日のように満員電車に乗り、過去に起きたことが頭によぎる日々を思うと、重く苦しいものだっただろう。2000年代初頭は今に比べてより男性的強さが求められる社会で、心的外傷や障害に対する理解も現在に比べて普及されていなかった。父は単なる心の弱さや甘えとして見られることを忌避し、社会的なケアも受けることを拒否して退職した。離職してからも彼はその価値観を手放さずにいただけに、人が弱い生き物であることを前提に考えることができなかった。そのことを認めるのが酷く難しく感じていたのだろう。



 父が亡くなってからある日、僕は霞ヶ関駅で降りることがあった。彼は何を見たのか、何が耐えられず記憶に蓋をして日々を過ごしたのかを思いめぐらせてみた。日の光が届かない地中が、先の見えない暗渠を手探りで歩くようなものだと暗示させる。日比谷線、千代田線、丸の内線のホームを巡るなか、いつしかサリンが作られた場所に足を運んでみたいと思うようになっていった。



 宗教施設は山梨県上九一色村(2006年に分割・編入により廃止)に点在し、そのうちの一つである第7サティアンで神経ガスが作られた。2022年の秋、その場所を訪れると雑木林に埋もれ鬱蒼としていた。痕跡と言えるものはわずかに舗装の跡を見つけたくらいで、この場所に建物があったと思えないほど植物に侵食されていた。周囲を見渡すとしっかりと整地された農地と牧場に囲まれている。この明らかな差は、どのような現れなのだろうか。かつて宗教団体が共同生活し、テロ行為に用いられたガス兵器が作られた土地というイメージを払拭しようと、1997年にテーマパーク「ガリバー王国」を誘致して運営していた。しかし、経営母体の新潟中央銀行の経営破綻が起き、不動産競売にかけたが入札がなく整理回収機構に債権譲渡されたことによって2001年に閉鎖。



 跡地は過去の出来事に触れたくないあまり、かつての風景を手放しているようだった。翌日の明け方、再び雑木林のなかを分け入ってみる。周囲から切り離されたように植物に覆われ、底の見えない穴に身を沈めるかのようだ。遠くを見上げると、やんわりと日に照らされた富士山が見えていた。前日に跡地を巡っている際、ほとんどの場所から山頂が見えていたことを思い出す。かつてそこで世間と関わりを断ち修行していた信者たちも見ていた景色の一部なのだろう。今の僕は峰の輝きを頼りに暗闇に身を寄せているような気がした。



 朝日が昇った頃、慰霊碑のある富士ヶ嶺公園に着くと、かつて施設内でリンチ殺人が行われた場所は青々とした芝生が広がっていた。人を殺めることを肯定する大義は、人を操るための煽動にほかならない。心身を委ねたくなる痛快な言葉、分かりやすい語りに抗うには何が必要なのか。抵抗するための言葉や語りだけでなく、前向きなうねりを作り出すことが必要とされるだろう。ただでさえ不安定で複雑で矛盾に満ちた世界を直視するのは、心苦しいことかもしれない。それでも暗がりを明るい気持ちで歩こうとすることは、痛みを分かち合う意思の芽生えだろう。



 公園から富士山が見えるのか確かめたくなり後ろを振り返ると、群生するチガヤは東を背にし、淡く照らされる花穂は無数の白い火となって宙に浮かんでいた。



(*1)『アンダーグラウンド』村上春樹 講談社
1997年に発行された地下鉄サリン事件の被害者62名に村上春樹がインタビューした一冊。それぞれがこれまで歩んできた人生を聞きつつ、3月20日の朝に起きたことが語られている。被害者というまとまりではなく、個人史を通して一つの事件を見るような記録。

参考文献
『約束された場所で underground 2』村上春樹 文春文庫
『A』森達也 角川文庫
『サリン事件 科学者の目でテロの真相に迫る』ANTHONY T TU 東京化学同人
『終わりなき日常を生きろ ─オウム完全克服マニュアル』宮台真司 ちくま文庫


守屋友樹 | もりやゆうき

写真家。2010年日本大学芸術学部写真学科卒業。写真の古典技法や古写真に関する歴史を学び、実地調査で過去と現在を重ね見る体験をする。かつてあった景色や物、出来事、時間などを想像する手立てとして不在や喪失をテーマに制作を行っている。 https://yk-mry.com/