空白の味方

古代の占いと熱狂する観客。その場限りの乾湿サイドステップ

《For instance, Humidity》2022 Kazuki Oishi

ーー乾燥の国

夏は一度も雨が降らない。落葉は腐らず、全部風下に吹き溜まって回転し続ける。

強い日差しに炙られたら、地上に残る僅かな湿気が噴き上がる。

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||雨が下から降ってくる

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ーー湿潤の形

唐突な大量の湿気、逃げ場として約束された凝結核

効率よく送り届けるための表面積。その形は?

ーー乾燥の体験

   「うだるような暑さ」とは高温多湿によって言われる言葉なのだろう。たとえ高い気温でも、乾燥した空気での暑さには「うだらない」のだと初めて知った。日差しは強く照りつけて、肌が焼ける音さえ聞こえてきそうだったが、日陰に入ってしまえば思いの外涼しく感じられる。しかしそこでも変わりなく喉は乾く。それはただ暑くて汗をかいたからではなく、文字通り乾燥で喉が「乾く」ようで、汗の量に対して水を飲む回数が多い事に気が付いた。

   乾いた喉が自然と水分を欲していた。水分が口に流れ込むと、乾燥で白化した喉が湿潤によって暗く落ちついた濡れ色になっていった。そのあとの水分は胃袋や小腸を巡行し、そのうち臓器の仕組みを通して体の「乾燥」した部分に浸透圧で広がっていくのが分かった。乾燥した大気は体内から湿度を誘き出して奪おうとする。そして湿潤の境界面を奥へと押し込めていって、私たちが率先して摂取する水分は、浸透圧の速度でそれをまたを押し返す。潤って満足した身体は、再び乾燥した日向の中を歩けるようになった。そういった体内外の乾湿の変化が、低速な駆け引きで私たちの生理的バランスに関わりを持ってくる。この感覚を新しく植え付けるには十分な体験がそこにはあった。

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ーー湿潤の高原

   麓からは分からなかった。森林限界を超えたその一帯は、地盤の凹凸がそのまま分かるほど均一な低草の草原が広がっている。地盤は大小の岩からなっていて、表層を土壌が薄く覆っている。薄い土壌は縦方向に植物を肥えさせる余剰もなく、彼らは限られた居住区を奪い合って草原を成しているのだった。

高原は北と西へずっと続いて、霞がかったずっと遠くまで見渡せる気持ちの良い眺望。とは人の感覚でしかなく、背丈が無ければそれを知ることはない。低草は常に密集して立ち並ぶ隣人(隣草)の顔しか見られず、高原の冷えた空気と一緒に、混雑した視線の上澄みだけが高原の低空に漂っている。おおよそ彼らの「鼻」くらいの高さで、湿気を帯びた荒い鼻息が逃げ場を失って立ち込めている。

ーー乾燥の会場

   草原の所々で地(じ)が露わになっている場所がある。低草のその「鼻頭」よりさらに低層部。外気に直接晒されてしまっている土は見るからに干上がっていて、下界や高地の、それぞれの経験と関心の隅々をくすぐるシチュエーションが整っている。

   一瞥しただけで、直前までその場かぎりで何かが遂行されていたような会場の面影が見えてくる。不規則に伸びる土のひび割れ模様は、亀卜(きぼく)※1的な占いの痕跡だろう。ベージュで荒めの土は、なるだけ安定した形で硬直している。そして僅かな物理的変化を察知して、地中で静かに揺れてさらなるひび割れの最適解を導き出そうとする。雨が一滴、土を穿つだけで、水滴の振動が土を揺らすだけで、そして次の乾燥が一体いつおとずれるかによって、模様が変わってしまうほど敏感な反応だ。そんな湿潤から乾燥への複雑な変化に応じて、これしかない!と叫んで土は自らの身体を引き裂きひび割れる。会場はそれだけの些細なことで、状況がころっと変わってしまうほど厳格だ。

   周囲の低草はまだ、顔を付き合わせて騒がしく立ち並んでいる。観客が会場に影響を与え始める。

ーー湿潤の装置

   「雨だけが、地面と天との間の唯一の連結符をなしているのではないーーーさまざまな形をした水力装置、いずれもが同時にレトルト、濾過器、サイフォン、蒸留器であるような水力装置が立ち並んでいるのだ。

   雨が、地面に達する前に、まず出会うのは、これらの装置にほかならない。装置は深さの度合いを少しずつ異(こと)にしつつあらゆる水準に群をなして配置された多数の小さな鉢の中に、雨を受けとめ、鉢はそれらの中身を次々に下へと流し込んで最も低い段階の鉢に至り、それらによってついに大地が直接に潤されるのだ。」

   フランシス・ポンジュの詩、『植生』の一節だ。雲から伸びる雨の柱だけが、地上/会場の乾燥を湿潤に向かわせられるのではないようだ。高原の騒がしい低草もまた、それぞれが別で持ちうる能力、複雑さを用いて大地を潤す媒体になり得るらしい。そうならば、亀卜の会場はどこにでも存在しながらも、あらゆる水準と配置においてなに一つとして同じ状況にはおかれない。乾湿は、0と100や右か左かという単純な振り子ではなく、亀卜で占うことが自然に思えるほど不規則で偶発的な一度きりの現象を供給し続ける運動だ。

   もし枯渇に最良の湿気を間違いなく供給できるのなら、亀卜の占いは願望を満たす装置にしかならない。一度体験したことが全く同様に繰り返されるのが当たり前なら、目の前の出来事に「同じ光景をどこかで見たことある」とデジャヴをあてはめるのも興醒めしてしまう。低速な駆け引きによって保たれている乾燥と湿度の均衡に、唐突な水滴で状況は一変。他に代えられない方向へ舵をとり始める。

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ー乾燥と湿潤

   乾燥と湿潤と変化とはまるで、寄せては返す海岸の波が、絶えず新たな砂の粒子を運ぶということであり、おもむろにこの両手を合わせて握ったその形が、生まれて初めての形だということであり、毎日の自宅と会社のAとBの往復は、次の日にはCとDやEとFの道のりになっていることみたいだ。

   こんな例えも、それ以上にも以下にもなりそうもない。夏は終わってしまって、乾燥の国の体験は持ち帰って再現などできず、僕らは今しがた、この場で起こっている乾湿の変化を肌で感じる他ない。

「乾」の文字が23回

「湿」が20回

ここも少しだけ乾燥しているようだ。

2022年10月

引用:『フランシス・ポンジュ詩集』阿部良雄編訳 小沢書店 1996年より

※1 亀卜:亀甲を用いてする古代の占い。亀甲獣骨を焼き、その裂け目によって吉凶を占う。中国から伝来し、日本の神祇官に仕えた卜部氏という氏族が担当して行ったとされる。


大石 一貴 | おおいし かずき

1993年山口県生まれ。彫刻家。Studio&Space「WALLA」を共同運営(https://walla.jp)。2018年武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程美術専攻彫刻コース修了。2022年10月にルーマニア、ブカレストでの2ヶ月間のAIR(アーティスト・イン・レジデンス)を終え、個展「For instance, Humidity」sandwich.gallery (Bucharest / RO)を開催中。国際水切り大会8位。国際水切り大会8位。https://www.kazukioishi.com