25時のピクニック

16:30

「今流れている曲はなんですか」

 夏日の夕方のこと、店番をしている私に、年配の男性が話しかけてきました。

私が手元にあったCDジャケットを見せると、男性は懐かしそうに溜息をついた後、私と私の背後の窓をしばらく眺め、「この曲には、たしか映像があるんです。ぜひ調べてみてください」と言い残し、店を出て行きました。

 誰も居ない店内でこっそりと動画サイトを開き、ジャケット裏に記載された7番目のタイトルを打ち込むと、強い西日の逆光の中、サーフィンをする女性の映像が曲と一緒に流れ始めました。

夕陽を映す水面は、私がそのとき座っていた窓辺と同じ夕焼け色をしています。きっとカウンターの向こうの彼から見れば、映像の中のサーフィンをする女性と同じように、私の姿も陰ってよく見えなかったことでしょう。彼が私にその映像を観て欲しいと言い残した理由を、見つけられたように思いました。

今まではただのBGMに過ぎなかった一曲が、その日を境に、形と空間を待ち、色を帯びているように感じられます。

 よく作品タイトルの付け方について質問されます。

 私は展示が決まった時点で、まず展覧会全体の方向性を示すようなタイトルを決めています。作品がひとつもない状態、何を作るかもわからない状態でも、まずは今気になっている事柄に関係する言葉を浮かべてから、どのような作品空間を作るか決めていくのです。音楽アルバムの曲目リストをつくるようなイメージに近いように思います。リストを考えながら手を動かし、形状と語感が自分の中で一致したり、関連していると判断したオブジェクトに、リストに書き連ねていた言葉を紐付けていきます。言葉とモノの関係に優劣はありません。ただ、「無題」とすることは避けたいと思っています。私にとって無題(untitled)は、見る側の想像の余地を残す手段ではなく、在ったはずの思考の軌跡や、作品背景を消し去ってしまうことのように思えます。ステートメント(声明文)ではない作家のテキストや、タイトルは、展覧会の場において大事なコミュニケーションツールになっていると思います。

 今日の本は、2021年に東京の古書店 東塔堂で行われた、金工作家の秋野ちひろの個展「本と金槌」の展覧会図録です。少し変わった二部構成になっており、表紙を開いて左側が、実際にギャラリーに展示された作品12点を収録した作品図録、右側に、作家が普段アトリエで使用する道具の数々が掲載されています。どちらから見ることも、同時に開いて、アトリエとギャラリーのページを行き来しながら見ることもできる、非常に空間的なブックデザインが印象的です。デザインは加藤勝也、プリンティング・ディレクションは熊倉桂三によるものです。

 ページを捲っていくと、伸びやかで美しい作品群が並んでいますが、作品に添えられたタイトルがそれぞれ本の題名であることに気付きます。ガートルード・スタイン『地理と戯曲 抄』、『ルイス・バラガン 静かなる革命』、『ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』、片塩二朗『ふたりのチヒョルト』等……。図版メインの作品集もあれば、芸術論やテキストメインの書籍もあり、形やイメージと直接結びつけることが難しそうなものもあります。

 この展覧会では、書店での個展なので本と絡めた展示にしたい、という作家のリクエストから、あらかじめいくつかの本を書店から作家に渡し、それらに目を通した上で制作された作品が展示されました。選書の内容は、イメージに縛られずに制作が出来るよう、あえて作家に関係のない、店主が学生の頃に影響を受けた本が選ばれています。本の内容を知っている人にとっては、どの部分が形や線となって作品化されているのかを予想して楽しむことができますし、知らない人にとっても、逆に本の内容を想像するきっかけとなり、本と出会う新しい場として展覧会を楽しむことができます。

 書店とギャラリーが併設されている場所は多く、都内だけでも、年間数え切れないほどの展覧会が開催されています。けれどもそのほとんどは、書店というとても個性的な場所をあえて意識せずに行われています。この本と展覧会が他と異なるのは、展示をする本のある空間に対して、作家が能動的に作品を制作したということです。

 私は作品をつくるとき、そのタイトルや形、色が、一体何に由来し、それにどう影響を受けたのか説明するのはとても困難だと感じています。作品を指さし、「これは何ですか?」と聞かれる度、いつも上手く答えられないのは、作品を言葉にするよりも前に、脳内でイメージが勝手に連想ゲームを繰り返し、やっとモノが現実に出現する頃には、作者にとっても思いもよらない姿に変容しているからです。

 こちらの本に掲載されている秋野ちひろさんの作品も同様に、本と作品がイコールで繋がっているのではなく、作品を構成する粒子のほんのひと粒であるということが面白さの一端なのだと思います。見たことの無い本を手に、知らない世界に触れた作家の小さな気付きを種に、作品は勝手にグングンと育っていく。すると枝葉が伸びた先に、見たことの無い作品が実っている。普段は完成形しか見られないものを、始まりと終わりの二点を示されるだけで、鑑賞者は枝葉の伸びる道筋を自由にたどることができます。私にはそれが新鮮に感じられましたし、 作家によって示された新しい解釈と文脈には、本に書かれることのなかった、言葉にできない側面が含まれているように思えて興味深いのです。

 「こっちだ, いやこっちだと道を変えることを許して, どんどん足を進ませる. 新しいいい場所に来た, と思った時に終わりにする. 小さくても大きくても, 新しい場所にいきたい.」 秋野ちひろ(書籍より抜粋)

 書店から作家に渡されたのは、只の本ではなく、知らない国の地図のような存在だったのではないかなと思います。新しい場所を探し求める作家にとって、本のお題は決して制作の縛りではありません。

 新しい何かを作り出すきっかけが欲しい時、真新しい本ではなく、古い本を開きたくなるのは、先ずは誰かがたどった道をなぞってみたいからかもしれません。いいきっかけを投げかけてくれる人の存在は当たり前ではなく、パスを出す側も出される側も、未知のものに感性を開く勇気と、相手に対する信頼が必要なのではないかと思います。いつかこんな仕事が出来るのかなぁと、私はちょっぴり羨ましい気持ちで、この本を眺めています。

2022年7月

今日紹介した本:『本と金槌 / The Books and the Hummers』秋野ちひろ著 東塔堂 2021年 和英文 21.5×17.8cm

今日の作品:《atlas》2022年 ボール紙、アルミテープ、ガッシュ、その他


木下 理子 | きのした りこ

1994年東京都生まれ。2019年武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程美術専攻油絵コース修了。飼っているハムスターの名前は粒子(つぶこ)。 Official Site:https://rikokinoshita.com / Instagram:@kico0703