内と外

外側の壊れたアパートメント

Roztoky, Czech Republic

久しぶりにチェコに来てから、デコロナイゼーション(decolonization)という言葉を度々聞くようになった。まわりの友人がその言葉を使うようになったからなのか、日本にいた三年間で自分に知識がついてその言葉を認識できるようになったからなのか、あるいはチェコのアート全体がその話をするようになったからなのか、理由はよくわからない。近隣国で戦争が始まり、過去から続く歴史と今日の関係や、国と国の関係性をより強く感じるようになった中、チェコであまり可視化されていない問題についても考えるようになったが、そこに日本人の自分はどのように関われば良いかわからず、また日本で自分が見てこられなかったことがたくさんあるということも感じるようになった。

「Pat a Mat」(パットとマット)という、チェコスロヴァキア時代である1976年から続く子ども向けのストップモーションのアニメーションシリーズがある。黄色い服のパットと赤い服のマットが、あれこれと何かを作ったり、壊してしまったりする子ども向けの短編アニメーションだ。パットとマットは喋らないけれど、毎回いつもなにかを思いつき、 家にあるもので便利な装置を作ろうとする。その結果、いつもちょっと失敗してしまう。(例えば、天井にレールを敷いて、掃除機が自動で部屋を掃除する装置を作る、という回があった。結局その掃除機は暴走してしまい、家の中はごちゃごちゃになっていた。)

そのシリーズの中に、近年新しく作られた「skleník(スクレニーク)」という話があり、その話をチェコで親しくしている家族の子どもと見る機会があった。温室という意味の言葉がタイトルについたその回は、パットとマットが大きなガラス瓶を積み重ねてセメントで接着させ、庭に家庭菜園用の小さな温室を作ろうとするという話だった。家にあったガラス瓶を使用しているのかと思ったが、一緒に見ていた子どものおじいちゃんに「これがなんのことだかわかる?」と聞かれた。保存瓶で家庭菜園用の温室を作るというのは、昔に実際にやっていた人がいたらしく、インターネットで見つけた写真を見せてくれた。社会主義時代は、工夫して家にあるものを使い、いかに安く欲しいものをつくるか、ということが大切だったらしい。

一度、近所に住んでいた人から昔のプラハの街中の様子を聞いたことがある。プラハ市内のアパート群はどこもかしこも灰色で、建物の外壁はボロボロで、まるで魔法の世界みたいだったと言っていた。室内は個人の自由があるけれど、 外部は国のものだから外壁には手が加えられなかった。家の中で話していいことと、学校で話してはいけないことは、子供ながらに区別していたと聞くことがある。”内部”は、安心を得るための一つの単位となっていた。中と外の世界の違いは、今日までどのようにつながっているのかと考えている。

90年代、チェコとドイツの国境にある街に、ロマ系チェコ人とチェコ人の居住区を分けるために長さ150メートルの壁が建てられたことがあった。(大きな反対にあい、完成後2ヶ月が経たないうちに撤去された。) 今はその壁の一部が動物園の外壁として使われている。よく調べてみると、そうした壁はヨーロッパ内の他の国にもあるし、スロヴァキアにもあった。

いま私たちがチェコ人と呼ぶ人たちと、ロマ系に出自を持つチェコ人は、重なりつつも異なる歴史を持つことがある。以前チェコに住んでいた時に、何故そのことに気が付かなかったのか分からない。もしかしたら知ってはいたが、考えていなかっただけなのかもしれない。世界はそのように成り立っているのだということを知った。ラジオで、「ロマ系の人には改革なんて起こらなくてよかったという人がいる。」と話している人がいたのを聞いたことがある。90年代は、チェコ在住のロマ系チェコ人への差別が加速したとされている。チェコは1989年のビロード革命が英雄的な革命として世界中で語られているけれど、そうではない世界もあることを知った。

デコロナイゼーションという言葉を周りの人が使うのを聞く一方で、コロニアル的な構造がずっと存在し続けていることが見えることもある。何かを可視化するために、例えば一つの英単語が世界中で使われるようになったことが好ましく思うと同時に、それをとあるアーティストが「違う形でのコロナイゼーションだ。」と言っているのをきいて、興味深く思った。チェコで周りの人がポストコロニアルについて話す時”アジア”という言葉を使うことがあるが、そこに日本はどのくらい含まれているのだろうと考える。日本はアジアという壁の中にあるが、さまざま壁を作りさまざまな人をその向こう側へ追いやってもいる。私は日本人としての歴史を十分に省みないまま、自分の理解が未だそのことに追いつけないまま、ヨーロッパの今とどう向き合えば良いのか分からない。同時に、チェコ人がアジアを語る時、彼らが何を見ているのかがわからない時もある。それは私がアジア人だからだとも思う。戦争や、日本のことを思っても、どこから眺めても、その複雑さを、どこからほどいたら良いのかわからない。

世界の構造がよく見えるようになったと思うたびに、自分が気がつくことのできない物事があるということに、罪悪感を感じることがある。見過ごされてきた物事にたくさんの言葉がつけられてきたように思うけれど、いつもなにかを見過ごしている気がすると、友人と話す。それでもそれらを言葉に、形にしてる人たちを今見ていられることをうれしくも思う。今日に至るまでの長い歴史が、見えない形で、あるいは見える形で、同じ構造を保ったまま今もなお残り続けている。大きな壁が壊されているのか、あるいは作り直されているだけなのか、世界はずっと内側と外側の行き来を考えてきたはずだけれど、私たちはどこへ向かえばいいか分からない。


日原聖子 | ひはら せいこ

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