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晴れた日の午後、作ったものを壁に設置して眺めていたら、アトリエの白壁が緑がかっていることに気が付きました。屋外の木々の緑が強い日差しを受けて反射し、部屋の壁を緑色に染めているのです。
私が制作で扱う銀色は、単なる色彩ではなく、今いる場所の光を宿す鏡のような役割を担っています。この写真のようなアルミやステンレスなどの金属素材を用いた作品は、風景や光が写り込んで、表面の色味や作品の持つ雰囲気ががらりと変わります。作品は時に作者よりも雄弁に、その場の光や出来事を語ります。私はいつも自分の作ったものから様々な現象に気付かされています。
「センス・オブ・ワンダー」という言葉をご存知でしょうか。SF作品や自然など、生活の中である対象に触れた時に、不思議を感じる能力を指す言葉です。この能力は子供なら誰しもが持っていて、大人になるにつれ弱まっていくと言います。それは悲しいことですが、生きていくために当然とも言えるのでしょう。なにか視点を変えるきっかけが無い限り、当たり前になってしまった日常の景色から、不思議を発見するのは容易なことではありません。
この本は、2006年に東京オペラシティアートギャラリーで開催された展覧会「アートと話す/アートを話す―バウハウスからコンテンポラリー:ダイムラー・クライスラー・アート・コレクション」の開催に際して発行された展覧会オリジナルのワークブックです。初めてアートに触れる子供、これからアートを学ぶ学生、大人に向けて作られた、アート鑑賞入門のような内容です。来館者は、受付で貸し出されるこの本を手がかりに展示会場を見て回ります。会期中には小学校低学年から参加できるギャラリー・クルーズが開催され、小・中学生の来館者全員と、ギャラリー・クルーズへの参加者にこの書籍がプレゼントされていたようです。現代美術は知識がないと楽しめないという人に、先入観や、鑑賞時の決まりごとを一度取り払う、スイッチポイントのような役目をこのワークブックは担っています。大人も子供も同じ本を手にして、同じ作品について言葉を交わす「場」を作り出そうとした、少し変わった展覧会の試みです。
コレクション展の開催に際して発行される展覧会カタログは数々ありますが、これほど隅々まで可愛らしいブックデザインが施された、鑑賞のためのワークブックというのは珍しいように思います。
学習ノートを思わせる方眼紙にカラフルなテキストがプリントされていて、開いた瞬間から楽しい一冊です。カタログや作品集のように、鮮明な図版や詳細な解説テキストが無いにも関わらず、つい最後までページを捲りたくなってしまいます。目を引くブックデザインは、オランダのグラフィックデザイナー Esther de Vries(エスター・デ・フリース)によるものです。
会場の展示作品のいくつかが取り上げられ、作品へのアプローチのきっかけが質問形式で設けられています。年齢別にレベルが3段階あり、Aは小学校低学年、Bは小学校高学年、Cは中学生以上大人向けの内容です。自分で描いたり貼ったりすることで完成するページ(2枚目画像参照)もあり、小さい頃に遊んだ、スーパーなどに売られているシールブックを思い出します。巻末には関連する美術用語の解説が付いていて、会場で気になった作品のバックグラウンドを知る資料としても使うことができるようになっています。
このワークブックは、私が実際にギャラリー・クルーズで使用したものです。当時小学5年生の私は、母と一緒にこの展覧会を訪れ、その時偶然開催されていたギャラリー・クルーズに参加しました。私が美術に興味を持ち始めたことを知った母が、色々な展覧会に連れて行ってくれていた頃でした。
クルーズで印象的だったのは、私よりも小さな子供達が、作品について気付いたことをスラスラと話していたことです。11歳の私でも、当たり前すぎて気が付かない部分が既にあるのだと分かり、少しショックだったことを覚えています。ちょうど子供の目では無くなってきた時期だったのかもしれません。
実際にクルーズに参加した人にとって、この本は鑑賞体験の記録として手元に残り、新しい発見を導くアートのトラベルガイドのような一冊になったと思います。今、あらためて手に取ってみても、展覧会との関係が興味深く、新鮮な観点で作られているなと感心させられます。
あれから15年以上が経ちましたが、この本はかなり綺麗な状態で、実家の本棚に仕舞われていました。「デザインが可愛かったし、理子がまたいつか見るかもしれないから」と、母が取っておいてくれていたそうです。今こうして、お気に入りの本としてレビューを書いているので、母の目は侮れません。
2022年5月
今日紹介した本:『ダイムラー・クライスラー・アート・コレクションのABC アートと話す/アートを話す』ダイムラー・クライスラー AG(編) Seippel Verlag 2006年 和英文 18×12cm 230ページ
今日の作品:《bushes》2022年 アルミ、アクリル絵の具
木下 理子 | きのした りこ
1994年東京都生まれ。2019年武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程美術専攻油絵コース修了。2022年6月4日より児玉画廊(東京|天王洲)にて個展「Human Humor」を開催予定。 Official Site:https://rikokinoshita.com / Instagram:@kico0703