25:00
「25時」は私の制作するアトリエの名前です。名前があるといっても、特別外に向けて名前を公表したことはありませんし、ドアに看板を掲げているわけでもありません。
由来は、2017年度武蔵野美術大学卒業式での戸谷成雄さんの祝辞より、吉本隆明さんの「一日の中に25時をつくる」というお話から影響を受けて名付けました。この祝辞は大学WEBサイトに掲載されているので、今でもときどきサイトを訪れては読み返しています。
私を含めアーティストの多くは、作品を作っているだけでは生活できません。働いて、日々生活を営み、そのうえで作家たちはアトリエを借りたり、自力でこしらえたり、制作をするための時間と空間を設けようと日々努力しています。けれども毎日画材に触れる時間があるわけではないし、様々な理由で疲れて眠り込んでしまい、何も出来ない日もあります。
そんな日常の中でも、仕事の帰り道や布団の中、ふと見たスマートフォンの画面越しに、誰かの言葉や作品と出会って、創作意欲が湧くようなことがあります。SNS上で今日も友達が制作していると分かると、私も何か始めようと勇気を貰えますし、インターネット上のそういった数分間の交流も、確実に今日のアトリエでの制作へとつながっていると感じています。25時は、本当は存在しない観念の時間であり、仮想空間でもあるのです。
必ずしも、アトリエで作業している時間だけがアーティストとしての時間ではありません。
アーティストの時間の全体とは、一体どこまでを指すのでしょうか。
作品タイトルを決めるため調べ物をしていたとき、ホロンという言葉に出会いました。
ホロン(Holon)とは、部分でありながら全体としての機能・性質をもち、全体と調和する機能をもつ物の構造を表す単位のことをいいます。生物における細胞などを差し、全体子とも呼ばれてます。
ハンガリー生まれの思想家アーサー・ケストラーによる造語であり、ギリシャ語で「全体」を意味するHOLOSに「部分」を意味するONをつけたものです。ケストラーが1967年の著作『機械の中の幽霊』(“The Ghost in the Machine”) において用いて、重要視した概念として知られています。
私は自分の作品のことを、普段の自分自身にそっくりだと思っています。
飽きっぽくて、決断が遅くて、嘘がつけなくて、良くも悪くも大雑把で、なのに小さいことが気になってしまう。私の生活のどこを切り取っても、作品をつくるときの自分と同じです。
たとえば、仕事中に仕組みも分からず使っているコンピュータのHTMLタグ、無意識に消しているスマホニュースのポップアップ通知、毎日横切る工事現場のグロテスクさだとか、そういった取るに足らない日々の景色や出来事から作品の芽が生まれているのだとすれば、生活の中の有象無象が、私のアーティストとしての「全体」といえるかもしれません。
今日の本は、アメリカのアーティスト、リチャード・タトル(1941-)の作品集『TheStars』です。2020年にロンドンのModern Artギャラリーで開催された展覧会に際して出版されました。
タトルはポスト・ミニマリズムを代表するアーティストとして知られ、彫刻、ペインティング、インスタレーション、さらには詩・言葉を用いた作品など、既存の枠組みにカテゴライズされない、多様な作品を発表し続けています。木、紙、布、針金など、日常的に目にするはかない素材に手を加え、ひとつの作品の中でも絵画と彫刻の間を行き来するような、自由な表現が成されているのが特徴です。本書に収録されている作品も、先ほど例に挙げたような簡素な素材が主に用いられています。各作品はタトルによってタイトルが記された手作りの棚の上に置かれ、1本の釘で壁に固定されていて、展示方法一つとってみても、タトル独自の空間へのアプローチが見受けられます。
本書は、すべて同じ構図で撮影された作品図版92点と、未発表の詩によって構成されています。これまでにも数々のアーティストブックを制作しているタトルらしい、テキストと図像のリズムを楽しんでいるような遊び心あるページ構成です。ブックデザインは、ロンドンのデザインスタジオ、Studio Mathias Clottuが担当しています。一部背の高い作品の図版だけが折り畳まれた状態で挿入されていたり、赤いジャケットの下に隠された白の背表紙には、タトルが手書きで書いたタイトルがプリントされています。これは、タトルが手作りした展示棚を意識したもので、デザイナーとの密接なコラボレーションによって再現されています。展覧会とは異なる本のフォーマットを楽しんでいるようで、愛らしい仕掛けです。これほどの有名アーティストの作品集でありながら、なぜか500部限定という少なすぎる発行部数に驚き、「本当に本物が届くのかしら……」と、どきどきしながら注文しました。
タトルのアーティストブックは学生時代、大学のカタログギャラリーで穴が開くほど見ていたので、いつか手に入れたい本がたくさんあります。自由でミニマルな作風にも勿論影響を受けましたが、なにより私は彼の言葉に強く惹かれ、制作に行き詰まると、タトルのテキストを読むためだけに図書館に逃げ込んでいました。
「何がすばらしいものなのか、どうやって決められるのだろうか。心の眼をとおして経験全体を思い出してみれば、それを組み立てるできごとひとつひとつがある申し分のないすがたを成しているものなのである(ひとが他者に出合えば,それこそ傑作なのである)。」―リチャード・タトル『リチャード・タトル―空間と色彩の詩人』(セゾン美術館 1995年)
特別な作品だけを生み続けることは不可能です。その背景には望洋とした生活と、平凡でありふれた作品たちの存在があります。ありふれたものと特別な作品の違いなど、本当は誰にも説明できません。タトルの本が新鮮で楽しいのは、カテゴライズしない、ありきたりな区別をしないことが徹底されているために、本自体が鑑賞者に開かれた「発見の場」となっているからだと思います。
つい先日、私の今年二つめとなる個展が無事終わりました。展示場所は以前から勤めている古書店で、普段展示しているホワイトキューブのギャラリーとは全く違う質の空間です。展覧会タイトルがいつまで経っても決まらず、ぎりぎりまで悩んでしまいました。今思えば、あまりに生活に近い場所であったり、暮らしと密接になっている空間で作品をみせるのは、展示と生活を明確に区別することが難しく、うまく言葉が出てこなかったのだと思います。
作品も展覧会もアーティストも、本来無理に言葉で括って縛る必要はないのだと思います。作品は私が知覚したものの一部分であり、私自身もまた、私に気づきをもたらした全体の一部分でしかありません。展覧会が終わっても、またアトリエでの制作に戻るだけであって、本当の終わりはずっとずっと未来にあります。
いつか25時にも遊びに来てください。今後しばらくは続けているはずですので。
2022年9月
今日紹介した本:『TheStars』リチャード・タトル 著 Modern Art 2020年 英文 22.5×16.7cm ソフトカバー 260ページ
今日の作品:《picnic》2022年 銅、アクリル塗料、1人または2人の手
木下 理子 | きのした りこ
1994年東京都生まれ。2019年武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程美術専攻油絵コース修了。近年の個展に、「Human Humor」児玉画廊 (東京|天王洲) 2022、「You are what you perceive」東塔堂 (東京|代官山 )2022、など。現在は西東京市を拠点として活動している。 Official Site:https://rikokinoshita.com / Instagram:@kico0703