空白の味方

ある川辺の水飲み石と、並走して渋滞するヒストリー

 ある川辺のその場所は、岩場の隙間を縫った形で空間が明け渡されていて、こちらが雑感を向けてもなんら構わないといった様子だった。同時に、どうやっても理由で埋めることのできないその無為な空中にどう応じるべきか分かり辛くも感じた。こういった時の僕はいつもの通り、で、スマホのカメラを向けても、画面にどう収めたら良いのか分からず何度か近付いたり引いたりしてスマホのシャッターを押したが、双方に渡されている、感(勘)の良い落としどころを僕はすぐに見つけられずその場を後にした。

 双方の……とは何のことだったか。それは無数の草花につく花弁のひとつひとつの個性であり、地中深くに埋没する岩の背中側であり、時を同じくした旅人による唐突な即物的発見であり、奴らに当てがう無理繰りな楽観的意識付けであり、そして遠い多方面から届いた現像が、光速に等速で時間の向こう側にあるということだったりだ。

 飛蚊症のように埋められようもなく空間に渡される不透明さは、あれとこれの関係をぶっきらぼうな出現の頻度で付き纏ってくる双方にとっての組成物のようだ。じっと見て、頻発するそれら双方の落としどころを引き受けることに徹するのが、何かにつけての良い方法なのだ。

ーー”同時”はどうしても見られない、それら当時の様子

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 黄色の花は目立とうとしている。繰り返す点滅は、周囲を照らす照明として高くあろうと奮闘して、まだ完全ではない茎の密度で周囲と擦れ、それぞれにストレスレスな間隔を保って光線は散り散りになっていた。強い光に目を向けることで焦点は目眩ませのように白飛びさせられる。目を閉じれば青紫。あ、この先先、見えなくなることが手に取るように分かる。

 同時に、層状に模様や亀裂が入った岩肌が大きくうねった。この辺りは有名な岩石地帯で、地球内部から送り出されてきたプレートの一部が地表に現れて、今のところはとりあえず、この地を支えることになった。ファサードに徹する地表部に彫刻の装飾を施すことはもはや必要ない。順繰りで公平な岩の積層線は、減速することなく地面に突入や突出していくような線で、地下深くの岩の背まで続いていることが感覚的に分かってしまうから不思議だ。

 同時に、群れから追いやられた川水が、水溜りと言われる新たな群れとなってあとは蒸発するだけの時間をただ過ごしていた。川水が部分的に流入、停滞して出来たのであろうそこでは、離別した同種との別れの湿っぽさを紛らわそうと笑顔を振りまいている。(濁っていそうで、実はえらく透明度が高い。)それでもなお、静かに群れは蒸発という別離を継続し、湿気で自らの気分を悪くする。

 同時に、群れの水溜りの魅力に惹きつけられ、僅かな砂利混じりの土壌の淵に、水飲みする野生動物のように10キログラムの石が首を下ろした。危険を感じればすぐに飛び上がれるように前足だけ水につけた状態で、膨らむ腹に水分をさらに吸わせて黒くして、這いつくばった。まだまだ喉がカラカラで立っていられません。と。

 フランシス・ポンジュ(1899-1988)の詩「小石」で、このような一節がある。

「すべての岩石は同じ一個の巨大な祖先から分裂繁殖によって出てきた。この伝説的な物体について言えることは一つだけ、漠たる状態の外へ出るともう全然立ってはいられなかった、ということだ。」

この通りなら、水飲みする野生の石は、もとより祖先から分裂した(つづけている)が故に立っていられないみたいだ。巨大な祖先の末端とも言える大きな一枚岩が保護者のごとくすぐ背中のそこにいるのに、繰り返される別離に疲れ果てて、初めから野生に生まれたのだと言わんばかりの警戒心で水を求めて倒れ込むしかなかったのだ。ポンジュの「立っていられなかった」が意味することが重力に対しての起立ではなく、「個性として立っていられなかった」という事であるのなら、石がせめてもの分裂を今か今かと待ちかねていることに違いはなさそうだ。

 別離は野生の石の目の前でも同時に起こっていた。蒸発を待つあの群れの水らは、川の本流に横たわる祖先から分裂し、外へ出て野生になった。一体いつ離れ離れになったのか。それを水に問うことは同じ野生の石の通訳に頼る他ないが、言葉は通じず、さらに水は蒸発することで再び祖先と再会することが近く許されている。水分量の変化を余裕の面持ちで待機し、さらには透明度を誇示して場を盛り上げてくれるサービス精神さえ見てとれて、手本を見せたい野生の石の出番はなさそうだ。すぐにバイバイするだろう。

 こうしている間にも植生は成長していく。丈夫な黄色の草花は半端な土壌でさえ新たに定住を即決して根を張っていき、なだらかな傾斜に沿って広がり始めていった。巨大な祖先のはるか子孫は、この目撃の機会を逃すことを恐れている。根を張り成長が進んだ後は、石にとって個性の獲得の予感に近いものがあった。

ーーー「このままではいけないとずっと思っている」

ーー「もうすぐ、根っこが体を持ち上げててくれる」

ー「少しでも早く、遠くに行きたい」

再びあの場所を訪れた。

 前の訪問からひと月が経過していた。予想通り黄色い花は見る影も無くなって、辺りは複数種の雑草が混ざり密集して背を伸ばしていた。以前と比べてみると、岩肌にはこれまでなかった草がしがみ付いていたり、水溜まりは底が見えないくらいに濁っている事がひと目で分かった。最初、水飲み石は見えなかったが、実際は雑草をかき分けたそこに変わらずあった。ただ、その身体の半分以上は水に浸かっていた。

ー孤独を見た時、これほど賑やかなものはない

 経過観察を終え、僕は早々に写真を撮ってその場を立ち去った。近くに駐車していた自家用車のエンジンは、それくらいの短時間では冷めることもなく、キーを回すと余熱で燃焼を再開した。僕らはアクセルを吹かして燃焼させることで、いずれ自宅に着くという事が想像できるからシートでじっとしていられる。帰宅中、渋滞に巻き込まれた車内であの場所を思い出しながら過ごした。しばらくすると車は少しずつ進み始め、あそこから確実に離れていっていることが、座りながらも実感できた。

 このテキストを書き進めればするほど、しばらく不動のエンジンみたいに冷え冷えしている水飲み石について、間違った想像をする方向で離れ離れになっていく。それでも今もあの場所は、岩場の隙間を縫った形で空間が明け渡されていて、頻発する双方の不透明さで埋められようもなく存在している。じっとして、あれとこれの双方の関係に並走する落としどころをこうやってただダラダラと遅らせ続けるのが、何かにつけての良い方法だ。

2022年6月

引用:『フランシス・ポンジュ詩集』阿部良雄編訳 小沢書店 1996年より


大石 一貴 | おおいし かずき

1993年山口県生まれ。彫刻家。Studio&Space「WALLA」を共同運営(https://walla.jp)。2018年武蔵野美術大学大学院造形研究科修士課程美術専攻彫刻コース修了。2022年8月からルーマニアにAIRで滞在予定。国際水切り大会8位。Official Site:https://www.kazukioishi.com